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電動超特急ひかり号セット

お久しぶりです。またまた諸事情により、前回からだいぶ期間が空いてしまいました。

 

プラレール紹介第4回は、「電動超特急ひかり号セット」です。

この製品の発売は1964(昭和39)年、東京オリンピックの開催年です。前回紹介した「プラスチック 夢の超特急」ではプラレール初の新幹線となりましたが、なぜか電動プラ汽車セットで電動化が施されたのにもかかわらず手転がし仕様となってしまいました。そこで、プラスチック夢の超特急の発売翌年に電動化車両として発売されたのが、「電動超特急ひかり号セット」です。

 

「電動超特急ひかり号」3タイプの並び。それぞれ細部が異なります。

 

カラーリングは相変わらず実車の青+白ではなく、赤+白という不思議な色合いですが、電動超特急ひかり号ではプラスチック夢の超特急と異なり、鼻の色がスカートと同色の赤色に変更されました。当時遊んでいた方々にとっては、「プラレールの新幹線といえば赤と白!」というイメージもあるのではないでしょうか?この「赤鼻」は、後の「超特急ひかり号」「ライト付きひかり号」と受け継がれいていきます。また、1編成3両に戻り、この電動超特急ひかり号セットの車両規格が後のプラレールの礎になったとも言われています。今回はそんな「電動超特急ひかり号セット」を紹介していきます。

 

1.初代 電動超特急ひかり号セット(前スイッチ)

初代電動超特急ひかり号セット

最初に紹介するのは、1964年に発売された初代です。モデルになったのは0系新幹線ではなく、新幹線1000型B編成(0系の量産先行車)と思われます。1000型の特徴的な運転席の曲面ガラス部分も上手に表現されています。

連結器は現在のプラレールのようなプラスチック製ではなく、全て金属でできています。

連結器は現在のようなプラ製ではなく、金属製である。

また、この初代はスイッチが車両斜め前のスカート上部についています。ここでポイント(?)なのが、スイッチの形状が2種類存在することです。初代の中でも初期は薄い金属の板状のものでしたが、操作しにくいと判断されたのか、その後は縁が軽く折り曲げられたものになっています。そのため、動力車カバーも初期と後期でスイッチ用の穴の大きさが微妙に異なっています。

さらに、動力ユニットも2種類存在しており、電動プラ汽車セットのように動輪がユニット直結の物と、ピニオンギヤ駆動の物があります。そのため、

①初期スイッチ+直結駆動

②後期スイッチ+直結駆動

③後期スイッチ+ピニオンギヤ駆動

という3種類が存在することになります…。このうち③のピニオンギヤ駆動タイプは非常に珍しく、確認数も少ないです。

初期スイッチ+直結駆動の①(右)と、後期スイッチ+ピニオンギヤ駆動の③(左)の並び。

スイッチ2種類を接写したところ。スイッチ以外にも、後期タイプにはスカートに「ON・OFF」の表記があるという差異もある。

動力車の台車裏側(右が①、左が③)。ほとんど同じ形状だが、よく見ると「MADE IN JAPAN」表記の有無という差異がある。

 

2.2代目 新電動超特急ひかり号セット(屋根スイッチ)

2代目 新電動超特急ひかり号セット

続いては、2代目の「新電動超特急ひかり号セット」です。初代から2代目に変更されたのは1967年頃と思われ、こちらも初代とモデルにしているのは同じ新幹線1000型B編成です。2代目が初代と大きく異なっている点は大きく分けて2つあります。

1つ目は、動力方式です。

初代は基本的に動輪がモーター直結の物でしたが、2代目ではピニオンギヤ駆動に変更されました。そのため、先ほど初代で紹介した③タイプは、「前スイッチだがピニオンギヤ駆動」という初代と2代目の2つの要素を持ち合わせているということになるので、”1.5代目”という表現が適切かもしれません。そして、動力方式が変わると共にスイッチ位置が車体前方から屋根上へと変更されました。かなり後方部にあるため、現行商品で主流の所謂”新メカ”動力車そっくりですが、このひかり号の動力ユニットはスイッチが金属製です。さらに、時期によってモーターボックスの組み方が異なり、スイッチを前に倒すと走る物と、後ろに倒すと走る物の2種類が存在します。

2代目の動力車の様子。スイッチが車体後方部の屋根上にある。

 

そして、2つ目の特徴は連結器です。

初代の金属製連結器からプラスチックになり、子供向け玩具としての安全性が向上しました。

が......

このプラ製連結器、色々と問題があります。まず、受け側が台車直結なのです。これだけ聞いても特に問題があるようには思いませんが、この台車直結の使用上、交換が不可能なのです。つまり、一度連結器が破損してしまうと車両が連結できないということです…。一方、フック側の連結器は台車直結ではなく完全な別部品なので安心……とは言い切れません。このフック側連結器、なぜか異常に中央部が薄っぺらいのです。このせいで非常に千切れやすく、子供の遊びに耐え切れず破損してしまっている個体をよく見かけます。ただし、このタイプの連結器を装着している製品に「電動プラ電車」があるのですが、そちらでは一部中央部が薄くなっていない連結器を装着した物も発見されています(恐らくひかり号では未発見…?)。

2代目の連結器。受け側は台車と一体化し、フック側は中央部が異常に薄くなっている。

 

3.3代目 電動超特急ひかり号セット(前スイッチ)

3代目 電動超特急ひかり号セット

3代目へと変更になったのは1970年頃。徐々に実車をモデルにした製品が発売されてきた時期です。この3代目は初代・2代目とは異なり運転席窓の形状が0系新幹線のようになっていますが、ライトの形状やライト横の長方形の窪みはそのままです。

スイッチ位置は再び車両前方に戻っていますが、スカート上部にあった初代とは異なり、スカートの中心に位置しています。それとともにモーターユニットも変更され、一般的な”旧動力”を搭載しています。初期は2代目と同様にピニオンギヤで動輪を回す方式でしたが、これでは動輪のゴムがすぐに傷んでしまうということで、すぐに黒い摩擦ゴムに変更されました。また、初代・2代目では動力車のカバーと台車を固定するフックとして鼻の裏側に細い鉄板が付いていましたが、3代目では鉄板が外され、鼻と一体化した小さなフックになりました。

ピニオンギヤ駆動の初期(右)と摩擦ゴム駆動の後期(左)

 

2代目では子供が遊ぶには問題があり過ぎた連結器も、3代目では受け側・フック側ともに改良が施され、安心して遊べるようになりました。どちらも軟性プラスチック製で、指で簡単に曲げられるため、伸び切ってしまったフック側連結器を直しながら遊んでいた子供たちも多いようです。このタイプの連結器は1977年頃までほぼ全ての車両に採用されました。

3代目の連結器。現行のタイプと似ているが、微妙に形が異なる。

 

電動超特急ひかり号セットは、時期によって動力方式や金型が異なりますが、単品箱は基本的に同一の物です。正面右に赤字に青・黄色の字で製品名が書かれ、中央から左にかけてはモデルとなった0系新幹線の写真が貼られています。

当時の単品箱を復元した物。

 

以上、1960年代のプラレールを象徴する製品の一つ「電動超特急ひかり号セット」の紹介でした。実車の0系新幹線が青+白のカラーリングなのにもかかわらず、プラレールでは10年近くも赤+白で販売されていたのは少しですが、それも当時のプラレールらしさと言えるでしょう。また前述の通り、この製品は現在でも続くプラレールの基本規格の第1号であるとともに、動力ユニット・連結器などマイナーチェンジを繰り返しながら変化していった製品なのです。つまり、今でもプラレールが鉄道玩具の代表として遊ばれ続けているのは、電動超特急ひかり号セットのおかげと言っても過言ではありません。そんなこの製品をこれからも受け継いでいけるよう、大切にしていきたいです。

 

 

それでは今回はこの辺で。

プラスチック 夢の超特急

お久しぶりです。実に約1年ぶりの更新となります、、、

プラレール紹介第3回は、「プラスチック 夢の超特急」です。

実はこれまでこの製品のみ揃っておらず紹介できずにいたのですが、この度ついに入手したので第3回として記事にすることができました。

この製品の発売は1963(昭和38)年。つまり、1964年の東京オリンピックの1年前です。東京オリンピックに合わせて、日本初の新幹線として東海道新幹線が開業しました。今では実に最高営業速度300㎞/hで人々の高速移動を大きく支えている新幹線ですが、開業当時は時速210km/hと、今と比べると少し遅く感じてしまうものでした(歌『はしれちょうとっきゅう』では、”時速”250キロ”という歌詞もありますが)。

初代新幹線車両として走り始めたのは丸い団子鼻とライトが特徴的な0系新幹線ですが、今回ご紹介する「プラスチック 夢の超特急」のモデルとなったのは0系新幹線運行開始前に高速試験を行った試験車両1000形A編成でした。見た目は大体0系量産車と同じですが、運転台窓が曲面ガラスである点やライトがまん丸ではなく少し小さい点、車両側面のスカートの高さが少し高くなっている点などの差異があります。

 

さて、そろそろ本題に入りましょう。

プラレール初の新幹線「プラスチック 夢の超特急」です。

 

前回の記事で紹介した電動プラ汽車セット(1961年発売)が初の電動車両でしたが、なぜか再び手転がし車両になってしまいました。今のプラレールと異なり4両編成で(実車が2両編成なので実車とも異なります)、1両1両が非常に短く可愛らしいショーティー車体となっています。また、車体色も青+白という実車のカラーリングと異なり赤+白に青鼻というカラーリングが選ばれています。なぜこのように実車と大きく異なるカラーリングになったかの正確な理由は不明ですが、塗装コストを抑えるためではないかとも、試験車両登場前にあった赤+白の塗装案を採用したのではないかとも言われています。

当時の単品の販売価格は180円で、レールセットはAセットが1150円、Bセットが700円でした。

 

それでは、車両をさらに詳しく見ていきましょう。

1両1両が非常に短い、可愛らしくおもちゃらしいデザインである。

先頭車前方部分のアップ写真。青鼻はクリアとなっており美しい。

車体裏側と、1両ずつ切り離したところ。連結器は初代プラ汽車のように金属製だが、鍵側と受け側が一本に繋がっていない。

 

初代プラ汽車セットとの”手転がし車両並び”。車体はプラ汽車セットの方が少し短い。

単品箱。モデルとなった1000形A編成が長編成となって大きく描かれている、かなりエモいデザイン。ちなみに、箱は本物ではなく本物に限りなく近く再現した複製品。

以上、プラレール初の新幹線製品である「プラスチック 夢の超特急」の紹介でした。1964年の東京オリンピック開催に合わせて開業した東海道新幹線の車両をすぐさま商品化し、当時の子供たちが”夢の超特急”を家でも遊べるようにしたのは中々の成功だったようです。また、この製品はプラレール初の実車をモデルとした製品であり、これ以降プラ汽車セットや電動プラ汽車セットのようなフリーランス車が製品化されることはほとんど無くなりました。

初の電動車両となった電動プラ汽車セットに続き、プラレールの大きなターニングポイントとなったこの製品。素晴らしいコレクションの一つとして大切にしていきたいです。

 

 

それでは今回はこの辺で。

電動プラ汽車セット

1959(昭和34)年に初のプラレールである「プラ汽車セット(前回の記事参照)」が発売されてから2年後、プラレールの歴史における最初の革命が起こります。それは、「車両の電動化」。プラ汽車セットは現在のような電動車両ではなく、手転がしで遊ぶ製品でした。もちろん子供が自分自身の手で車両を押して走らせるのも楽しいですが、やはり鉄道という物は自走する物です。

 

そこで、プラ汽車セット発売から2年後の1961(昭和36)年に発売されたのが、初のモーターを搭載した電動車両である「電動プラ汽車セット」です。

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機関車1両にプラ汽車セットのタンク車と無蓋車を1両ずつ繋げた3両編成。機関車は、数年前までは南満州鉄道のダブサ型蒸気機関車をイメージしていると言われていましたが、2020年8月に起こった所謂"ちゃぶ台返し事件"で、ドイツの鉄道模型メーカーであるフライシュマンが発売していたBR61形という電動車•ゼンマイ車のHOゲージ車両にそっくりと言う事が分かり、今では後者の説が通説となっています。f:id:Nabeta1959:20240320232859j:image

↑モチーフと言われているBR61型(パーラーフルールより)

 

さて、前置きが長くなってしまいましたが、今回の主役:電動プラ汽車セットです。

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機関車のみのアップ。電動プラ汽車発売当時の日本でもこのような形の機関車は走っていなかったので、子供たちはどう思いながら遊んでいたのでしょうかね(笑)

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機関車の裏側と内部。簡素な構造ではありますが、リード線が剥き出しだったり台車が薄っぺらかったりと、小さな子供が遊んでいたらすぐに壊れてしまいそうです。

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当時の単品箱と。残念ながらオリジナル品ではなく、オリジナル品を"ほぼ"完全再現した自作品です。商品名のフォントや側面のデザインはオリジナル品の写真を使用していますが、車両の写真のみ手持ち品でオリジナル品を再現して撮影した写真です。

 

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以上、プラレール初の電動車両である「電動プラ汽車セット」の紹介でした。「電池で走る3両編成の鉄道玩具」というイメージのあるプラレールの第一号として、歴史的価値の高い製品だと思います。しかし、初代プラレールのプラ汽車セットの陰に隠れがちでメディア等で取り上げられる事も少ないので、是非とも電動プラ汽車セットも紹介されて欲しいものです。

 

それでは今回はこの辺で。

 

 

 

 

 

 

プラ汽車セット

製品紹介の記念すべき第1回に相応しい製品は、やはり"元祖プラレール"でしょう。

その名も「プラ汽車セット」。     

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1959(昭和34)年に発売されてから60年以上経った今もなお販売されているプラレールですが、初代の製品は現行製品のような電動車両ではなく、無動力の手転がし車両でした。自由型SL1両+貨車4両の5両編成で、テーマパークのミニSLのような雰囲気があります。プラレールの歴史について紹介されるメディアでよく出る車両なので、見た事のある方も多いのではないでしょうか。

 

販売期間中に大きな金型変更は行われませんでしたが(汽車の煙突の長さ•木材車の柱の長さの変更を除く)、販売時期によって金属製連結器の初期製品と、プラ製連結器の後期製品が存在します。

レールも一緒になったセット品として「プラスチック汽車レールセット」「プラ汽車レールセット」も用意され、車両単品も含め約10年間に渡って販売されました。

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↑金属製連結器の初期製品。
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↑プラ製連結器の後期製品。

 

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↑先頭車の裏側。前後の連結器は1本の棒で繋がっている事が分かる。

 

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当ブログの製品紹介第1回として、初代プラレールであるプラ汽車セットを紹介して来ました。今年で発売65周年のロングセラー鉄道玩具であるプラレールの初代製品として、非常に価値のある物と言えるでしょう。プラレール発売〇〇周年の記念商品として過去2回復刻されているので、この先もどのような形で復刻されるのか楽しみですね。

それでは今回はこの辺で。

 

 

 

 

 

 

 

はじめに

皆さま初めまして。なべた と申します。

「いつか、小学生の頃から憧れていたブログを自分で始めたい」という思いがずっとあり、大学生になるこの春を機にブログを開設しました。

 

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私の趣味として「古いプラレールの収集•研究」という物があります。始まりは、叔父が当時遊んでいたプラレール(急行電車、EF58)を父が残しておいてくれており、それを小学生の頃に遊んで古いプラレールの良さを何となく感じ、インターネットや書籍等で色々と調べた結果すっかりどハマりしてしまいました(笑)

色々と見ている内に色々な製品が欲しくなってしまい、徐々に自分でも収集するようになりました。元々親がネットオークションをやっていたり、父親も中々の鉄オタで幼少期にプラレールで遊んでいたりと趣味の環境はかなり整っていましたが、自分の欲しがる製品は当然とっくの昔に廃盤になってしまったプレミア物ばかりで、当時小学生の自分には入手困難な物が多かったです。しかし、ジャンク品を安く購入して修理したりしている内にコレクションも増えていきました。中学生、高校生と上がっていくと使える金額も徐々に上がっていき、ずっと憧れていた製品も買えるようになり、現在に至ります。

 

さて、当ブログについてですが、少しずつ自分のコレクションを紹介したり、イベントの参加記録を残したり、時には日々の事を書き綴っていければと思っています。マイペースな投稿となってしまいますが、宜しくお願い致します。